「365歩のマーチ」「函館の人」「あんこ椿は恋の花」「昔の名前ででいます」「雪椿」「男はつらいよ」「兄弟船」「みだれ髪」など、パッと思い出した田だけでも、ヒット曲のタイトルが浮かんでくる作詞家・星野哲郎さんが、11月15日午前11時47分、心不全のために亡くなった。
85歳だった。
手がけた曲は約4800曲以上もあるという。
数年前からお身体が悪いというのは聞いていた。
06年、星野さんが書いた「星野哲郎物語 妻への詫び状」が、東京・三越劇場で舞台化されたとき、稽古場であったのが最後だった。
水前寺清子(65)に手を引かれ、インタビューに応じてくれた。
94年に63歳で亡くなった奥さん・朱實さんにささげる内容だった。
結婚生活の当初、まだ売れない作詞家だった星野さんは、毎晩のように飲み歩き、その場生まれた詞のフレーズを鉛筆などでコースターに書き留めてポケットに入れて帰った。
帰って寝てしまう星野さんに代わって、朱實さんが、翌朝までに万年筆で毎晩のように清書していたという。
いまの星野さんの原点が描かれていた。
水前寺に「チータ」と名づけたのも星野さんだった。
歌謡コンクールで2位だった水前寺に「いつかデビューさせてあげるからね」と声をかけ、小さい民子(本名)だったから「チータ」というニックネームになった。
ここ数年は車椅子生活だったと聞くが、作詞活動は続いていて、今年1月に、島津亜矢(39)に書いた「温故知新」が遺作になった。
星野さんは、5月に肺炎を発症し入院したが、無事回復、自宅での生活を続けていた。
しかし、10月になって再び肺炎にかかってしまい入院、一時、回復の兆しも見えたが、15日に容体が急変、帰らぬ人になってしまった。
「てっさま」と呼ばれ、多くの歌手たちに愛された星野先生がいなくな ってしまった。
ご冥福をお祈りいたします。
通夜は18日午後6時、葬儀告別式は19日正午から、東京・青山葬儀所で行われる。
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