「俺が死んだら”だんしがしんだ”と、かかれるんだろうな」と、上から読んでもしたから読んでも”だんしがしんだ”と笑い話にしていた落語家・立川談志さん、11月21日に亡くなっていた。
75歳だった。
24日に分かったときには、密葬として極かぎらられた親族のみで荼毘にふされた。
談志さんの遺言だったようだ。
57年、5代目柳家小さん師匠に入門。
小さん師匠から天才を認められたが、周囲からは「天狗」と、非難されたこともあった。
江戸っ子風の威勢のよさと歯に衣を着せぬ毒舌でトップを走り続けてきた。
今でも続く人気番組「笑点」は、談志さんのアイディアが詰まっている。
71年、2度目の出馬で参議院銀に立候補し当選。
75年、三木武夫内閣で沖縄開発政務次官に就任したが、酒を飲んで記者会見。
「政務が先か?酒が先か?と記者に聞かれ「酒に決まってるだろう。気に入らないなら帰れ」と、発言して36日目に辞任。
83年には真打昇進試験制度問題をめぐって落語協会の小さん師匠と対立、落語教会を飛び出して立川流を旗揚げした。
勢いのまま額後人生にかけてきたが、87年に照合がんが見つかった。
それからはがんとの闘いに日々だったようだ。
08年にのどにポリープ。
医師は入院を勧めたが談志さんは、高座に出演することを選んだ。
極端に声が出なくなり聞きづらくなっていく。
咽頭がんを発症していることを告白する。
それからの入・退院生活。
11年3月、拒否し続けてきた談志さんだったが、声門癌の進行で声が出なくなり気管切開手術を施すことになった。
一命は取り留めたが、退院後一切の仕事をす津ことはなかった。
10月に再入院し、家族だけに看取られ11月21日にこの世を去った。
戒名は、自分で作っていた「立川雲黒斎家元勝手居士(たてかわうんこくさいいえもとかっ てこじ)」とした。
談志さんらしいけじめのつけ方だったのかもね。
「オレの葬儀はするな。海に流してくれ」と言うのが遺言で、談志さんは、スキューバ大文具の大ファンだったのは、知られていない。
談志になって、談志を演じきってなくなった談志さん、家族を愛し、毒舌に生きた人生だったが、ダンディイズムで、死に顔は弟子にもみせないという強い思いと、談志のまま死にたいと言う思いもあったんだろうな。
私生活は家族の前だけ。
一歩でたら談志という生き方に魅力は感じるね。
あの毒舌が聞けないのが寂しいね。
ああ、合唱
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