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薬物依存、ドタキャン騒動などで芸能界を干されていた歌手の華原朋美(38)が、5年前に解雇された元の事務所と再契約して芸能界に復帰した。

騒動後、実父の仕事を手伝うということでフィリピンに渡っていた華原。

実兄が、ブログで「華原が芸能界に戻りたいと思っている」と、書いたこともあった。

あれから1年、念願だった復帰。

用意されたのは、人気歌謡番組だった。

大ヒット曲「I’m proud」を歌い終えた華原の目から大粒の涙があふれていた。

本番前に出演したニュース番組で「ホントに大きなステージに立たせていただいき、感謝しています」と、告白。

元彼・音楽プロデューサー小室哲哉(53)との破局からの生まれた精神的苦痛。

トラウマのようになっていた小室との失恋から立ち直ったということなのだろうか。

女性週刊誌記者は「華原の一連の行動は、小室との破局が原因だったとしか思えない。彼女の中で小室が消えたのか。仕事をしていて、また何処かで会ってしまったら・・精神的なことは分からないからね」と言った。

でも、ファンは健康を取り戻したという華原を待っていたのだから。
2012/12/06(木) 13:20 UNARRANGEMENT PERMALINK COM(0)
誰からも愛され、歌舞伎界を支えていた18代中村勘三郎さんが亡くなった。

享年57歳だった。

あまりにも早すぎる死に、関係者だけじゃなく、多くのファンも悲しみにくれた。

歌舞伎の興味がなかった人たちを歌舞伎に向けることが出来た功績は大きい。

一昨年の暮れに突発性難聴で緊急入院。

9ヶ月休養することになった。

勘三郎さんの舞台生活で、舞台を休んだことはなかった。

復帰後の昨年11月から5ヶ月間、江戸時代の芝居小屋を感じさせる「平成中村座」のロングラン公演を成功させた。

ニューヨーク公演でも好評だった舞台だ。

しかし、6月に食道がんが見つかり7月27日に手術。

12時間にわたる手術だったが、早期発見で、翌日には、病室を20メートルも歩いたという情報も流れた。

後は、じっくり休養して「長男・勘太郎(31)の襲名興行で復帰」と、関係者は思っていた。

そこにもたらされた病院転院の知らせ。

11月中旬だった。

転院先の病院での集中治療室生活。

人工肺を装着している状況だとも。

あの報道から19日。

芝居が好きで、人が好きで、お酒が好きで、ゴルフ・女性が好きだった勘三郎さんは、惜しまれて、あっけなくこの世を去った。

来春の新しくなった歌舞伎座のこけら落としに出演することもなく。

ああ、合掌。
2012/12/06(木) 13:17 UNARRANGEMENT PERMALINK COM(0)
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