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女優の原千晶(36)が、37歳のテレビ製作会社プロデューサーと10月10日に結婚していたことを明らかにした。

07年1月のフジテレビのドラマ「母親失格」で、知り合い、交際を続けてきた。

交際当初から05年に発症、2月に手術した子宮ガンのことは知らせていたが、今年1月に子宮を全摘出手術をしており、子供が 産めない身体になっている。

「彼は『子供が授かれなくなったけど、僕には君が必要』と言ってくれました。優しく支えてくれて感謝しています」、子宮ガンを乗り越えての結婚に、涙の結婚報告会見になったが、喜びも隠せなかった。

5年前の手術では、公表する気は全くなかったという原だが「今回『公表することで(同じ病気の人の)救いになれば』とたくさんの方が言いますが、そういうきれいごとではなくて、まずは自分が楽になりたかった。ビジュアルが変わって隠しきれなくなったというのが大きい」と素直な思いをはなした。

5月まで抗がん剤治療を続け、現在も治療中。

むくみの後遺症もあり、鬘もかぶっている。

「主人とは何年か前から一緒に生活をしてきたので、そのまま変わりなく。入籍という形で書類を出しただけで実感が沸かない」敏ながらも、来年の3月か4月には、内輪で披露宴をひらくという。
2010/11/16(火) 11:51 UNARRANGEMENT PERMALINK COM(0)
東北楽天イーグルスの田中将大投手(22)とタレント・里田まい(26)の熱愛にビックリ。

ふたりは、昨年末の収録された読売テレビの正月特番「プロ野球オールスタースポーツフェスティバル」で司会者と出場選手として出会った。

里田が、田中選手に「一緒に写真をとってください」と、積極的な行動にでたのが里田だった。

06年の夏の高校野球決勝戦で、早実高の「ハンカチ王子」斉藤佑樹投手(22)と投げ合った北海道・駒大苫小牧高の田中投手を、札幌出身という縁で里田は応援していたという。

高校時代テニス部で全国大会に出場したこともあるスポーツウーマンの里田が先にビビット来たそうだ。

そして、今年に入って本格的な交際がスタ ートした。

11月1日の田中の誕生日を一緒に祝ったというふたり。

里田は「ちゃんとお付き合いさせていただいてます」と、素直の報告。

「全部好きです」と言い、結婚についても「そうなればいい。相手もあることなので、彼にお任せして」と、4歳年上の姉さんは嬉しそうだ。

一方、田中も「既に報道等でご存知の方もいらっしゃるかと思いますが、タレントの里田まいさんとはいいお付き合いをさせて頂いています」と、正直に。

結婚については考えられない」としながらも「あくまでぼくの仕事は野球なので。別のところでスポットが当たっても・・。ぼくは今まで通り、野球を頑張るだけです」と心境を。

里田は「マー君」と呼んでいるそうだが、彼がなんと呼んでいるかは「彼に聞いて」だって。

また、異業種恋愛が生まれたね。
2010/11/16(火) 11:49 UNARRANGEMENT PERMALINK COM(0)
結婚して5年、4歳の長男も生まれていたのに何があったのだろう。

俳優・松平健(56)の妻で、元女優の松本友里さん(42)が、11月15日未明、自宅の自室のドアに電気コードを掛け、クビを吊っているのを泊りがけのベビーシッターが発見して119番通報。

都内の病院に搬送されたが、すでに死亡していたという。

遺書などはなかったが、警察は自殺と見て動機を調べている。

関係者によると、友里さんは病気がちな母の看病を続け、そんな中で育児も続けてきた。

その母親が、6月に亡くなってからは「死にたい」ともらすなど、うつ状態が続き、塞ぎがちだったという。

前日、14日に松平に友里さんから「チョッと出かけてくる」電話があったそうで、ベビーシッターに様子を見るように伝えたというところを見ると、何か変化が起こっていたのかも知れない。

松平は、福岡・博多座公演「忠臣蔵」に出演中に、訃報を知った。

この日、午後の公演がなかった偶然で、急遽、帰京することができた。

変わり果てた友里さんに対面し、わずか4時間で再び福岡に戻った。

16日には、2回公演が待っていた。

主役の舞台だけに、代役を立てるわけには行かない。

博多が公演は30日までだが、17日は休館日に当たり、その日に、松平は、葬儀を考えているようだ。

ふたりは、91年にドラマ「暴れん坊将軍V」で知り合った。

松平には元宝塚女優の大地真央(54)という妻がいたが、離婚の噂が消えないころだった。

そして松平・大地のふたりは03年12月に離婚する。

友里さんとの本格交際が始まり05年10月に結婚、06年4月には披露宴も開いた。

10月に長男が誕生し、1年半前からは、新築した現在の鉄筋コンクリート3階建て住宅で生活していた。

誰の目にもうらやましく映っていたが、近所付き合いは、薄かっ たようだ。

病気がちの母を抱えての生活だったからだろう。

突然の自殺、母がいなくなった4歳の長男は、これからどう生きていくのだろうか。

うつだったとは言え、友里さんは、長男のことを考えなかったのだろうか。

ああ、合掌。
2010/11/16(火) 11:47 UNARRANGEMENT PERMALINK COM(0)
「365歩のマーチ」「函館の人」「あんこ椿は恋の花」「昔の名前ででいます」「雪椿」「男はつらいよ」「兄弟船」「みだれ髪」など、パッと思い出した田だけでも、ヒット曲のタイトルが浮かんでくる作詞家・星野哲郎さんが、11月15日午前11時47分、心不全のために亡くなった。

85歳だった。

手がけた曲は約4800曲以上もあるという。

数年前からお身体が悪いというのは聞いていた。

06年、星野さんが書いた「星野哲郎物語 妻への詫び状」が、東京・三越劇場で舞台化されたとき、稽古場であったのが最後だった。

水前寺清子(65)に手を引かれ、インタビューに応じてくれた。

94年に63歳で亡くなった奥さん・朱實さんにささげる内容だった。

結婚生活の当初、まだ売れない作詞家だった星野さんは、毎晩のように飲み歩き、その場生まれた詞のフレーズを鉛筆などでコースターに書き留めてポケットに入れて帰った。

帰って寝てしまう星野さんに代わって、朱實さんが、翌朝までに万年筆で毎晩のように清書していたという。

いまの星野さんの原点が描かれていた。

水前寺に「チータ」と名づけたのも星野さんだった。

歌謡コンクールで2位だった水前寺に「いつかデビューさせてあげるからね」と声をかけ、小さい民子(本名)だったから「チータ」というニックネームになった。

ここ数年は車椅子生活だったと聞くが、作詞活動は続いていて、今年1月に、島津亜矢(39)に書いた「温故知新」が遺作になった。

星野さんは、5月に肺炎を発症し入院したが、無事回復、自宅での生活を続けていた。

しかし、10月になって再び肺炎にかかってしまい入院、一時、回復の兆しも見えたが、15日に容体が急変、帰らぬ人になってしまった。

「てっさま」と呼ばれ、多くの歌手たちに愛された星野先生がいなくな ってしまった。

ご冥福をお祈りいたします。

通夜は18日午後6時、葬儀告別式は19日正午から、東京・青山葬儀所で行われる。
2010/11/16(火) 11:43 UNARRANGEMENT PERMALINK COM(0)
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